2013年10月11日金曜日

Cammisa Buerhaus インタビュー






                              
 インタビュアー:堀 史昌

  
 美術/音楽/メディアといった特定の領域にとらわれない、NYのアーティストCammisa Buerhaus(カミッサ・ビュアハウス)。ここ数ヶ月の活動だけを見ても、自作のパイプオルガン、ラジオを使ったパフォーマンス、歌に重点を置いたミックステープと変幻自在であり、次に何をするのかは予測困難でもある。今、筆者が最も注目しているアーティストである彼女に、メールによるインタビューを試みた。


-あなたのことを初めて知ったのはクロマ・カラー・オルガン(自作のパイプオルガン)を演奏しているビデオです。そのオリジナリティには驚かされました。クロマ・カラー・オルガンのアイディアはいつ、どのようにして思い浮かんだのですか?

Cammisa:クロマ・カラー・オルガンは多目的な躯体の彫刻という私の夢から生まれたものです。今からその彫刻について書きます。中心は大きな木の回転木戸になっていて、とても重いため、回転させるのに8人の人が必要でした。回転木戸の掛け釘は高い柱によって羽根と接続されていました。回転木戸が回ると羽根が冷却材的な役目をしながら、それに反発する力が働いて逆風の風洞を発生させるようになっていたけど、人間を文字通り吹き飛ばしたりしていたわ。 

これを作るためのお金がなかったの。その代わりにパイプオルガンを作ったというわけです。友人のアンジーの車を借りて、別の屈強な友人 (ありがとう、ジョシュ!) を連れてホームデポに行ったのです。そこで私達は木材を買って、車に詰め込みました。私達はロウアー・マンハッタンにある私のスタジオに持って帰り、そこに木材をしまいました。3ヶ月制作に取り組んで、2009年の12月にそれを完成させたのです。

-最初にクロマ・カラー・オルガンを演奏した時、観客はどのように反応しましたか?これ以前にも音響彫刻を制作していたと書いていましたが、音響彫刻を作ることに興味を持つようになったのはいつ頃のことでしょうか。また、どんなアーティストに感化されましたか?

Cammisa: 最初に公けの場でクロマ・カラー・オルガンを演奏したのは、(マンハッタンの) 5番街12番通りにある建物の廊下でした。玄関には5番街に面した大きな窓があって、その窓の台の上にパイプを設置したの。パイプはリヴァーブの利いたスペースで大きな音をたてました。窓の外を通りすがる人も音を聴くことが出来きるほどの大きさでした。演奏を始めて数分後、目を上げると見たり聴いたりしている大きな集団がいました。 2番目の質問に答えると、音響彫刻を制作するのは、常にとても大きな彫刻を作りたいと思っているからです。音を組み込むことによって作品はより大きくなっていきます。

フェイバリットのアーティストですか?
現在はHenri Michaux、Maria d'Arezzo、Fred Herko、Yoshi Wada、Joelle Leandre、 Limpe Fuchs、 Dieter Roth(彼のサウンドはとても不気味ですが、またそこが良い)Yoko Ono...が本当に好きですね。


それは素晴らしい体験でしたね。その日の演奏を私も見たかったです。友人にクロマカラー・オルガンのビデオのことを伝えたら、彼はYoshi Wadaを少し思わせると言っていました。あなたはパフォーマー、音楽家、アーティスト、ラジオ/マルチメディアのプロデューサーなどとして活動されています。一番最初はどんな活動をしていたのでしょうか?

Cammisa: 私が真剣に音を作るようになったのは17歳の時です。全てはそこからはじまっています。


どんな種類の音楽を制作していたのですか?どこで生まれ育ったのかも教えてもらえますか。

Cammisa: 私はNYの北部にある小さな村で育ちました。郵便局と教会といくつかの家があるだけの本当に小さな村だったわ。誰も教会には足を運んでいなかったし、行政は郵便局を閉鎖していようとしました。そんな風だからこの村が後どれだけの間、村として機能するのか疑問です。誰かが、ここは歴史的な場所であると書かれたブロンズの刻板を掲げてましたね。刻板が村をより長く存続させてくれるかもしれないと思っています。当時いた幽霊も全ていなくなったわ。電話と電話線を引いてから彼らは神隠しにあったんだと思ってるの。

ハッキリ言うと、あなたが指している私の活動というのは全て同じですね。なぜなら音をメディアとして扱うことに専念しているから。とても若かった頃、歌をうたうことに取り憑かれていました。弟は私のとってもかわいいモルモットで、いつも私の歌を聴かされていて、私の歌がひどいことをとても上手く教えてくれましたね。私は当時Incredible String BandJ-popたくさん聴いていました。だからそれとも関係があるのかもしれませんね。

両親の家を出る時、イーストビレッジのある場所でギターを買って、コード本を使いながら独学で演奏方法を学んだわ。コードが読めなかったことを除くと、私は正確に見える運指法を編み出して、音符の周りに歌詞を書いたりしたものです。それは不気味かつ無調の、原始的な音楽でした。


当時の音源があれば聞いてみたいですね。Incredible String BandJ-popとは面白い組み合わせに感じます。Incredible String Bandのどんなところが好きなのですか?そしてJ-POPのどんなアーティストを聴いていたのでしょうか?どのようにしてJ-POPを知ったのですか?

Cammisa: 残念だけど音源はないわ。Incredible String BandJ-pop、Soulseekというプログラムを通じて知りました。ユーザー・ライブラリーに行っては面白い音楽は何でもダウンロードしたものです。Incredible String BandThe Minotaur Song」を聴いて、変わった演奏の録音を発見して、このキャバレー・スタイルの曲に興味を惹かれるようになったのです。それから少し後に、このバンドの歴史について知るようになりました。漢字が翻訳できないので、どのJ-popのアーティストが好きかを伝えることが出来ません。当時、独学で日本語を勉強していました。J-popを聴けば、言語を習得する上で手助けになるのではないかと思ったのです。 

この弾むような明るい音楽はグッと来るものがありました。なぜなら、私はRed Lorry Yellow Lorry、 Dead Can Dance、Orbital、 Baby Ford、Front 242といった90年代のインダストリアルやテクノを聴いて育ち、両親が聴いていたものとは正反対の音楽を聴くことで反抗したいと思っていましたから。


どんなJ-popのアーティストを聴いていたのか知りたいですね。男性ヴォーカルでしょうか、それとも女性ヴォーカルでしょうか?バンド、それともソロですか?独学で日本語を勉強したとありますが、いつから日本に興味を持ち始めたのですか?あなたが白石民夫や吉増剛造といった日本のアーティストと演奏していることが気になっていたのです。

Cammisa: 名前は分からないわ。大抵はバンドで女性ヴォーカルの曲を好んでいました。パワーポップやロックのグループだったと思うけど、私はそれらに魅了されていたわ。独学で日本語を勉強していたのは14~15歳の間の1年ですね。そこで止めてしまったので全部忘れてしまいました。

私のメイン・プロジェクトの一つは白石民夫や他の人とやっている即興グループです。
私は民夫と演奏することが好きですね。なぜなら彼はサウンドを風や水のような要素として解釈しているからです。吉増剛造とのパフォーマンスはIssue Project Roomのおかげで実現しました。


好きだったバンドは少年ナイフですか?あるいはロリータ18号でしょうか?なぜ、あなたは日本に関心があるのでしょう?あなたは、多くの日本人とコラボレーションしていので、日本に特別な関心を抱いているのではないかと思ったわけです。

Cammisa: ハハハ、少年ナイフかもしれないわ!!! 多分そうだ。ずっと前のことになりますね。漢字をどう翻訳したらいいのか分からなかったのです。確かに私は日本に関心を抱いています。私はセーラームーンの漫画が大好きで、セーラームーンのTシャツが見つかるまで何年もの間ショッピングモール中を探し回ったことを思い出します。それは私が見た中で、たった一つのものでした。インターネットで買う方法を知らなかったし、買うお金もなかったですしね。

あなたは、きゃりーぱみゅぱみゅを知っていますか?彼女は2011年にデビューした歌手ですでにワールドワイドで人気を獲得しています。このミュージックビデオ は凄く変わっています。

Cammisa:このビデオは最高。きゃりーぱみゅぱみゅは狂ってるわ。この映像のヴィジュアルに感銘を受けました。「Candy Candy」もいいわね。私がやっていた昔のバンドと同じ名前なの。


あなたと白石さんは大凶風呂敷というデュオを結成してますね。グループを結成するに至る状況を教えてもらえますか。

民夫とはParis London New York West Nileというスペースで出会ったわ。そこはブルックリンにあるインターメディア・パフォーマンスを行うスペースで、アーティストのスタジオかつ実験的な住居でもあるの。彼は私のスタジオメイトであるDoron Sadjaと友人で、民夫はWest Nileで何度かパフォーマンスをしたことがあります。2年後、私は短い期間だけのサイケ・ポップのバンドで演奏をしていると、彼が私のパフォーマンスの一つを見に来てくれたのです。その後、彼が私のところに来て、私の低音かつディープなサウンドが好きだと言ってくれました。そして私にコラボレーションに興味があるか聞いてきたのです。




大凶風呂敷のカセットはWild Flesh Productionsからリリースされています。これはあなたのレーベルですか?Wild fleshのコンセプトについて教えてください。

Cammisa: そう、Wild Fleshは私のレーベルです。日記、幽霊、感覚の領域を解き放つことに焦点を置いてますね。


幽霊?もう少し詳しく教えてもらえますか。Wild Freshの作品はいずれもカセットテープでリリースされていますね。なぜ、カセットを選択したのでしょうか?

Cammisa: 幽霊... 聖なる男性の同性愛 -女性は存在しない- "追いつくことはできても捕まえることはできない”。Wild Fleshからは、さらにリリース予定があるわ。カセットを選んだのはレコードを出せるほど金銭的な余裕がないからです。カセットは三次元の形に四次元を内包した、とても特別な物でもありますね。私はこのタイムトラベルの考えにとても関心を持っています。


Wild Fleshのリリースプランについて教えてもらえますか?

Cammisa: リリースが迫っている作品は以下の通り。

大凶風呂敷「タイトル未定」 
Kieth ConnollyMICO、白石民夫、Cammisa Buerhaus...  
2013年春にBoweryで録音されたもの。

Eliza and ParryMayday
ラジオ、ロシア製シンセ、女性ヴォーカル、テープ・コラージュを用いたもの。
2013年にBoweryで録音。


あなたの「Faceless」というパフォーマンスに非常に感銘を受けましたね。こういった演奏スタイルは目にしたことがなかったので。このユニークなアイディアはどのように思いついたのですか?

Cammisa:「Faceless」は私の中では、かなり古いパフォーマンスに入ります。最近はそんな風には感じないけれど、当時は「フェイス・トゥ・フェイス」「1対1」「自画像」というアイディアに関心を持っていました。あの楽器は私が最も初期の頃に作った音響彫刻の一つです。





あなたはWild Flesh以外にもたくさんのプロジェクトを抱えているようですね。現在進行中のプロジェクトの中身について教えてくれるかな?どのプロジェクトに一番力を入れてますか?

Cammisa: Wild Flesh以外にも3つの大きなプロジェクトを進めています。それらのプロジェクトは全て半年以内に発表できるでしょう。申し訳ないけど、これ以上は言えないわ。途中段階のアイディアを漏らすことよりも、アイディアを温めていくことの方が好きなの。

私はチャイナタウンにあるスペースCageと密接に関わっていると思っています。そこは現実と芸術の文脈にある異なるゲームを創り出したり、戯れてみたいという欲望から生まれてきたところです。Cageはギャラリストがいる(時にいない)アート・ギャラリーであり、アーティストによる(時にそうではない)芸術作品であり、セラピストによる(時にいない)現在進行中のグループセラピーです。このスペースは音とムーブメントを探求するためのホスト役であり、対話や交流を行う安全な場所であり、独立して共存するための複数の課題を可能にする様々な価値を持つシンクタンクでもあるわ。

 
新しいプロジェクトを目にするのを楽しみにしています。あなたの活動は多岐に渡っているので、いつも驚かされています。最近では、新しいミックステープに興奮させられました。あなたのミックスはとても独創的に感じられましたね。なぜなら、あなたは歌あるいは声を強調しているように思えたからです。そういったミックスはほとんど聴いたことがありません。特に最後のトラックは素晴らしかったです。このミックスに特別なコンセプトはありますか?

Cammisa: このミックスのコンセプトはカタルシスと対話の一つです。私は最近コミュニケーション(あるいはその欠如)と、嘘、怠慢、自由の間にある余白によって変わってしまう個人的な争いを多く経験しました。Sad Wednesdayは最近の小春日和の間、自分を泣かせるために作った歌のミックスです。それぞれの歌は声を主な楽器として組み込んでおり、私の論理を司る部分と動物的な反応の間で交わされる対話としても理解されるでしょう。インターネットは哀れな男性のセラピストです、だから私はSex Magazineだけを通じてこのミックスを発表することにしました。





インタビューに協力してくれて本当にありがとう。最後の質問をさせてください。もし後1度しか音楽を聴けないとしたら、どんな曲を選びますか?


Cammisa: もし後一度しか音楽を聴けないとしたら、私は静寂を選ぶでしょう。書いたり、作曲したり、考えを練る時、私はよく音をまったく流さずにヘッドフォンをつけます。音楽を聴くことはとても意識的な活動であり、考案する(あるいは全てが消え去る)瞬間は完全なる沈黙を求めます。


Cammisa Buerhaus Info:  

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