インタビュアー:堀 史昌
2019年5月23日。ある一曲がYoutubeにアップされた。
à qui avec Gabriel の「はらり ha-ra-ri」である。2年ほど前から自身のホームページの更新も途絶え、一体どうしているのかと気になっていたところに突然届けられた楽曲。それは彼女のイメージを大きく塗り替えるものであった。メイン楽器であるアコーディオンを一切使用せず、まるでドゥーワップを現代の日本でアップデートしたかのような、懐かしさと新しさが同居した音楽は、何度もリピートしたくなる中毒性に溢れていた。新たな魅力を備えたà qui avec Gabrielのことをもっと詳しく知りたい。そう思った私は彼女のルーツから、インタビューを始めた。
ーバイオグラフィーで「ミュージシャンà quiとアコーディオンのGabrielのユニット」とありますが、楽器を擬人化してユニット名の一部にするのは珍しいですね。このようなユニット名にしたのはどうしてでしょうか?
あまり深い意味はないんですけど、新しい名前でソロを始めようと思った時に、ある方がアイディアをくれまして「アコーディオンをガブリエルって呼んでるんだから『アキ(本名)とガブリエル』で良いんじゃないの」って。それで特に好きな人がたくさんいるフランスの言葉で語呂合わせして、à qui avec Gabrielってことになりました。ガブリエルっていうのは大天使にちなんだ名前ですけど、擬人化したわけじゃなくて、最初はコワい印象だった自分の楽器に名前をつけて仲良くなろうとしたって感じです。
ーà qui avec Gabrielという名前は、ユニークで素敵なネーミングなので昔から気になっていました。
ありがとうございます。この名前にイラっとくる人もいるみたいですけど(笑)
ーアコーディオンが怖いというのは、それはどういう経緯でそのように感じるようになったのでしょう?
まずはその大きさですよね。何しろデカいんですよ。楽器屋さんから連れて帰る時すでに「失敗した?」って思ったんですよね。ものすご〜く重くて(笑) 10kgあるんですけど、ヨロヨロしながら御茶ノ水の駅にたどり着いて、この先どうやって持ち運ぼう?...って、暗い気持ちで電車を待ったのを覚えています。あとから持ち運びのコツがわかって一安心っていうアホ丸出しな話ですけど(苦笑)。音を出すのでも、楽器が大きいので最初は蛇腹をうまく動かせなくて。楽器の方が意志を持って伸び縮みしてるみたいになっちゃって、まるで楽器を弾かされてるみたいでした(笑) だから謎の生き物みたいな感じがしてコワかったのかもしれません。もっと小さいアコーディオンを選んでいたらそんな風には思わなかったかもしれませんけど。
ーなるほど、アコーディオン演奏というのは、何というか見ている側からすると優雅な印象があるのですが、そういった苦労があったのですね。
苦労というのとは違いますけど、優雅とは程遠いですよ(笑)
ーでも、未だに演奏を続けていらっしゃるということは、そこでアコーディオンを選んだことはやはり縁というか運命だったのでしょうね。
そうですね。楽器との縁みたいなものは感じています。
ー大学の時に民族音楽のサークルに所属していたとのことですが、そこではどういった活動をされていたのですか?
シタールとタブラを習いに行ってたんですけど、その場所がインド音楽だけじゃなくて、いろいろな国の音楽を民族楽器で演奏する活動をやってたので、参加するようになりました。民族衣装を着たり、エスニックフードを作ったり、今思えばかなりマニアックな世界だったと思いますが、アコーディオンにもそこで出逢いました。一番最初にアコーディオンで演奏したのはエジプトの歌謡曲だったと思います。
ー衣装や食事にまでこだわるなんて相当民族音楽にハマっていたのですね。
当時の自分は相当オカシナことになっていたと思います(苦笑)
ー「アコーディオンパンク」を自称されていますが、アコーディオンを始める以前はパンクを聴いていたのですか?
「アコーディオンパンク」っていうのは、ジャンルの話じゃなくて、どこの誰だかわからない私のためのキャッチコピーです。「皆さんが想像するアコーディオンとは違う感じですよ〜」ってことでしょうか。よく一緒にイベントをやっていたmidoriyamaさんが「アコーディオンパンカーのアキさん」というふうに紹介してくれたことがあって…いただきましたっ!(笑) 最近はアコーディオン以外のこともやるのでこのコピーは使わなくなってしまいましたけど。
ーなるほど、そういう由来だったのですね。確かに、そういったキャッチコピーがあると普通のアコーディオン奏者ではないな、ということがよく分かりますよね。
アコーディオンっていう楽器が持つイメージはある意味強力なので、有難いキャッチコピーでした。
ーでは、アキさんは元々どういった所から音楽にハマり始めたのでしょうか?民族音楽以前にはどのような音楽を聴いていたのですか?
中学になって、地元のロックバンドを好きになって、彼らがザ・フーをカバーしてたので、そこから所謂洋楽を聴くようになりました。高校生になってからは学校でまわってくる和物のレコードもよく聴いてました。フツーのポップスから、戸川純とかゼルダみたいな当時流行っていたものとか、なんでもこだわりなく聴いていましたが、自ら探していろいろ聴くようになったのは東京に移り住んでからです。
「民族音楽以前に何を聴いていたか」って言われるとこんな感じのユルさですが、「元々どういった所から音楽にハマり始めたのか」っていうご質問の答としては、前出の好きになった地元のロックバンドの存在が大きかったと思います。今聴くと恥ずかしくなるぐらいなんてことないバンドですけど、演奏がものすごく不思議に見えたんですよ。初めて体感するエレクトリックの音のデカさもあったと思いますけど、音が彼らの身体の中に入って動いていて、さらにその音がまた彼らの動きによって身体の外へ出て行くように見えたんですよね。それで「あんなことやりたい!」って思って、高3の時にギャルバン、今でいうガールズバンドを結成してライブをやったりしました。ものすごい下手クソでしたけど(笑)
ー以前はロック系のものを中心に聞いていたのですね。ライブを見たことによって音が視覚化されてきたということですが、そういった体験が後にアコーディオンという楽器を選ぶということに繋がってはいないですか?
音が視覚化されたというか、音と動きの関わりが見えたような気がしただけなんですけど、そういう理由でアコーディオンを選んだ意識はなかったですね。たまたま鍵盤が弾けて、民族音楽が好きでなんとなくアコーディオンを選んだように思います。でも確かに堀さんがおっしゃるような話にした方がそれらしい話になりますね(笑)
ーまた、アキさんが参加していたギャルバンというのは音楽的にはどういった感じだったのでしょうか。音源が残っていたらぜひ聴いてみたいですね。
バンド名は「受付嬢バンド」(笑) とにかく全員、人に合わせようって気がなかったというか、技術的にも合わせられなかったので、自由にやろうってことで「何やっても良いんだ!」って感じにあふれていて楽しかったですね。
ーさて、民族音楽のサークルでアコーディオンに出会ってから、デビューアルバムの「うつほ」がリリースされるまでにはどのような活動をされていたのでしょうか?
サークルをやめてしばらくして友達と路上で演奏を始めました。三味線と胡弓とアコーディオンで戦前の昭和歌謡をやったり、ギターとのデュオで古いジャズやミュゼットを演奏したり。そのうち薩摩琵琶とのユニットや十数人編成のラテンバンドに参加するようになって、曲をちゃんと演奏するっていう感じのことが多かったので、高校生の時のあの「何やっても良いんだ!」っていう自由な「バンド」をまたやりたくなったんですよね。それで何人かに声をかけてスタジオに入ってみたんですが、うまくいかなくて。じゃあまずはやりたい感じをソロでやってみようってことでデモテープを作ってTzadikに送ってみたという感じです。
ー活動の初期の頃から様々な楽器演奏者とライブをされてきたのですね。固定概念が無いというか、真の意味でのフリーミュージックという感じがします。楽器の組み合わせの自由さ、および多岐に渡るジャンルの音楽を演奏されてきたことに驚かされます。
節操なく見えるだろうなと思ってたので、そんな風に言ってもらえてうれしいです。
ーTzadikにデモテープを送ったのはどういった理由からなのでしょうか?
ジョン・ゾーンなら、誰にも相手にされないようなものでも一度は聴いてくれるんじゃないかと思ったんですよね。それで送ってみました。
ーなるほど確かに、ジョンゾーンはジャンル関係なく手広く手掛けているし、日本のアンダーグラウンドにも精通していますね。
そういうジョンさんの背景からっていうよりは、とにかく一度は聴いてくれそうっていう勝手な思い込みが暴走した結果ですね(笑) でもこれは当たっていて、送られて来るデモテープは全て聴いているとのことでした。
ーまずデビューアルバムの内容の前にタイトルについてお聞きしたいのですが、「うつほ」を始め として、最新ナンバーの「はらり」であったり、あるいは「あわい」など古典文学に出てきそうな言葉を選んでますね。そういった文学をよく読まれていたのでしょうか?
よく読んでいたと言えるかわかりませんけど、とても好きな世界ですね。日本の中世の物語を読んでいると自分が現実だと思っている世界からどこか違うところへ連れ出される感じがして好きなんです。物語の中に生きている人々は目に見える世界で目に見えないものを感じながら生きているんですよね。山川草木の中に八百万の神を見ていて、その感覚で自然と超自然の間をリアルに行き来しているようで惹き込まれます。
アルバム『うつほ』も、そういう不思議な空気に満ちた『宇津保物語』からたくさんのイメージをもらっています。壮大な物語ですけど、不思議な成り立ちの琴(キン)とその秘技を親から子へ代々伝承していくといったお話です。
ウツホっていうのは枝が折れたり雷に打たれたりして木にあいた空洞のことですけど、物語では大きな杉の木のウツホに籠って親から子へ琴の技や秘曲を伝授していきます。琴っていう楽器も中が空洞になっているし、アコーディオンも中が空洞になっています。登場人物もそれぞれ傷心から心に穴が空いて虚ろな感じがあったり。そういうウツホになっているところに何かがやってきて新しいものが生まれ出るようなイメージをこの物語からもらった感じです。
日本の物語自体もそんな風に生まれてきた感じがあって、民俗学などではよくシャーマニックな成り立ちがあるって言われたりしています。シャーマニックとかいうとただのオカルトみたいになっちゃうのであんまり言いたくないんですけど、『宇津保物語』は人間と目に見えない何かとの共作みたいな感じがするんですよね。
同じように「はらり」や「あわい」もイメージが広がる言葉で「花びらがはらりと散る」って言うだけで、散る状態そのものが既に「はらり」っていう音を持っているような響きがあったり、「間(ま)」っていう日本人特有の感覚や「間(あいだ)」を行くような感覚が「あわい」という一言に集約されていたりして面白いなと思って。日本の古典文学からは、そういった様々なイメージをもらっています。
ー「うつほ」という言葉にはそういう深い意味合いが込められているのですね。音楽とは本来シャーマニック、儀式的な面が強いし、危険なものでもあると思います。しかし、大量生産が基軸となっている資本主義における音楽の多くは、そういった要素が取り除かれてしまっている。だから、ほとんどの人はそういった本質的なことに気づかないのだと思います。
音楽に限ったことじゃなくて、古の人々と現代人とでは随分感覚が違っている気がします。逆に現代人に感じられて古の人には感じられないものもあると思うので、必ずしも否定的な話じゃないんですけど。何れにしても本来感じ取れるはずのものが感じとれないっていうのは、知らず知らずのうちに飼いならされてしまいそうで怖い気がします。
ー日本の古典文学に傾倒していると聞くと、何だか着物を着て、音楽までいかにも日本の伝統音楽的な表現になってしまうようなイメージがしますが、アキさんはそうではない。 「うつほ」でも、尺八を使ったりして東洋的な要素も含まれていますが、ジャズ、クラシック、アバンギャルドなど西洋的な要素もミックスさせて曲を作っていますね。この、いい意味での複雑さが「うつほ」の魅力の一つだと思うのですが、ご自身ではどのように感じますか?
当時は古典文学の系譜に連なれるとしたら自分ならどう継承するか?みたいなことを考えてた気がします。『うつほ』に関しては自分ではむしろ単純なものだと思ってます。何かをミックスさせているつもりはなくて、特定のジャンルを意識したりはしていないですね。
ーなるほど古典文学の系譜に連なるという発想だった訳ですね。
なんだか偉そうに聞こえるかもしれませんが「自分がその系譜に連なれるとしたら、どんなことができるかなぁ?」みたいな発想です。『言霊の天地』っていう中上健次と鎌田東二の対談本があって、前述の古典文学の成り立ちや日本人の感覚などについて語られているんですが、彼らには文章を書く人としての危惧があって「古典文学の系譜に連なる人が少ない」ってことを嘆いているんですね。この本を読んだのは20年ぐらい前ですけど「日本人がものを作るプロセスみたいなことがわかりやすい形で残っているのが古典文学で、音楽でも舞でも日本人はそうやってるよなぁ」って思ったんですね。自分も何かを作る時「これはどこからやってきたんだろう?」っていう感覚があって。だからすごく惹きつけられたんだと思います。
ー創造のプロセスというのは、前の発言にあったような「シャーマニック」なプロセスのことですか?
ヒラタクイエバそういうことになりますね。シャーマニックっていうと特別な能力みたいな感じがするのであまり使いたい言葉ではないんですけど、人間なら誰もが持っている感覚だと思います。
ー「はらり」についてはまた後ほど触れさせて頂きたいと思いますが、やはり、古典文学から大きなインスピレーションを受けているのですね。いつ頃から慣れ親しんできたのでしょうか?
中学の時からです。授業そっちのけで教科書を読み進めていました。日栄社の古文のシリーズなんていうのもあって、読んでいると漆黒の闇が広がったりするんですよ。参考書なのに(笑) それと小学生の時に、宮沢賢治の詩や物語に出会ったのも大きかったかもしれません。古文ではありませんが、賢治の創造のプロセスは古典文学の成り立ちを思わせるものだったそうです。
ー「間」という概念も中々、西洋人には理解し難い概念ですよね。日本が「状況から察する」「空気を読む」ことに長けた、いわゆるハイコンテクストな文化だからこそ生まれた概念なのかもしれません。
西洋でも東洋でも目に見えないものに対する感覚はあると思いますけど、 日本人に特有の感覚っていうのは確かにありますよね。
ー確かに一神教の西洋やイスラムとは世界観が違いますよね。ハイコンテクストであることが、あいまいさを嫌うビジネスの世界では不利に働くかもしれませんが、アートや音楽ではそれがユニークさを生み出す源泉になっているのではないでしょうか。
日本のアンダーグラウンドシーンが面白がられているのはそういったことも大きいのかなと感じています。
ー日本のアンダーグラウンド/ノイズシーンは本当に特有ですよね。 「どうやってあんな音出してるの?」なんて海外から言われるぐらいですから(笑)。
その「どうやって音を出しているの?」っていうところがヒラタクイエバ...なところかなと。
ー頭で考えていては出せない音、論理を超越した音といったところでしょうか。楽器演奏の経験がほとんどない自分にとっては想像の域を出ませんが。
そうですね。言葉にするのは難しいですけど、演奏してる本人も「えっ??」って思っちゃうような音ってことでしょうか(笑)
ー宮沢賢治は彼の詩集「春と修羅」がうつほの中のタイトルで使われていますね。この曲は賢治に捧げられたものですか?
詩集のタイトルにもなっている『春と修羅』という詩を音にする試みです。
ー言葉を音に変換する作業は難しそうに思えるのですが、実際はどうだったのでしょうか。
言葉と言っても「詩」なので、イメージの力を借りてそれを音にするっていう感じです。
ーà qui avec Gabriel という名前でアルバム名を始め各曲のタイトルが日本語で、様々なタイプの音楽が詰まっている。その一筋縄ではいかない構成に「うつほ」のユニークさがあると思っています。
そんな風に捉えることもできるんですね。自分としてはごく単純なものだと思いますけど、そのあたりは受け手の感性に負うところが大きいのではないかと思います。
ー「うつほ」はソロ名義ですが7名の方がゲストで参加していますね。制作のプロセスはどのように行われたのか教えてください。
録音してミックスするだけなのでプロセスって言えるほどのものはないですけど、ゲストの方々はそれまでに知り合った人たちに声をかけさせてもらいました。
ー灰野敬二さんもゲストで参加されていますね。確か、別のインタビューでZenigevaのライブで灰野さんが出演していて、そこ知ったと聞きましたがそうなんですか?初めてライブを 観た時の印象を教えてください。
はい。灰野さんと最初に会ったのはZENI GEVA企画のライブでした。 灰野さんはKK Nullさんと、田畑満さんがkirihitoの早川さんと、私は藤掛正隆さんとDoomの諸田コウさんと3人で演奏しました。灰野さんの演奏は、何かが炸裂しているような感じで、舞みたいだなぁと思った記憶があります。
ーそのライブから「うつほ」に灰野さんがゲスト演奏するまでの間、何か音楽的な親交はあったのでしょうか?
一緒に演奏したりしたことはなかったですね。
ーうつほで灰野さんと共演したときの印象、エピソードを教えてもらえますか?
「何にもできなかったなぁ」っていうのが私の正直な感想ですけど(苦笑) でも単純に「あ、もっと自由にやって良いんだ」みたいなことを感じさせてもらえましたね。
ーそれにしても、アキさん、藤掛さん、諸田さんのトリオという組み合わせも凄いですね。どんな演奏だったのでしょうか?
私の提案でアフガニスタンの曲を1曲演奏しました。あとは即興をやったと思います。
ーアフガニスタンの曲というのは民族音楽的なものでしょうか?
はい。民謡とポップスの中間みたいな曲だったと思います。
ーちなみに、「うつほ」のジャケットに写っている写真はどこで撮影したものでしょうか?何だか神秘的で、とても雰囲気がありますよね。
原宿にある神社の森です。あそこは人工の森なんですよね。人工とは思えないほど鬱蒼としていて、特別な空気を感じる場所ですけど、大きくて見事なウツホの中に迎え入れてもらいました。
ーそうだったんですね。見事な大木なので、てっきりどこかの山の中で撮影したものかと思っていましたが。
確かに山の中っぽく見えますよね。そんな風に見える森を人の手で作ることができて、そこがある種の聖地になっているっていうのはすごく面白いことだと思います。 (続)。