2015年5月31日日曜日

Herr Icks Wo「Untitled」

ジャーマン・カセットレーベルKlar! 80からリリースの81年作から。ふくろうの鳴き声のような音や銃声音を交えながら展開する不気味なドローンが、カセット特有のチープな音質やヒスノイズによってさらに聴く者のイマジネーションをかきたてる。


2015年5月30日土曜日

Necrofago「Preachers of Doom」

88年のデモ音源から。ローファイという言葉が流布する前から遥かにローファイな録音/演奏による、愛すべきブラジリアン・ポンコツ・ダーティ・スラッシュ。


2015年5月29日金曜日

ニッポニア・ニッポン「汚れた血」

わずか1作で姿を消した謎のラッパーによるシングルから。Calmによるメランコリックなトラックに、薬害エイズ事件を扱ったと思しき生々しいリリックが絡むダークなヒップホップは異彩を放っている。


2015年5月28日木曜日

La Destination「Diaspora」

88年にAudiofile Tapesよりリリースされたオムニバス・カセット「F-Rants」収録。低く、くぐもった男性ヴォイスによるドローンから、ESP辺りを連想させるフリークアウト・ジャズへと変貌を遂げるミステリアスなトラック。Brother Ahファンに推薦。


2015年5月27日水曜日

ワルプルギスの夜「2015.05.24 ジャム~四つ辻、招くは悪魔の手~」

大阪デュオによる最新ジャム。ジャパニーズ・サイケデリック・ロックの無慈悲な暴力性と、UKドゥームのヘヴィネスをあわせ持った稀有なサウンド。今、最もリアルなロックを体現しているのはElectric Wizardと、このグループだと確信する。


2015年5月26日火曜日

Floating points「King Bromeliad」

Tony Allenを彷彿させるビートを主体にシンセやヴィブラフォンも絡めたトラック。中毒性を孕んだ独特のグルーブは、DJ Kensei「Tight 7」が好きな人に聴いて欲しい。


2015年5月25日月曜日

Mura Oka「Brain Waves」

日本風の名前が気になるフランスのデュオによる、パリジャン・テクノレーベルLatencyからリリースのデビューアルバムから。Farbenをダークにしたかのようなグリッチ/エレクトロニカが渋い。


2015年5月24日日曜日

The jazz intrusion「Roots and boots LP」

ジャマイカ出身というカモフラージュをしたUSユニット。野獣の如き咆哮と雪崩のようなブラストビートが一体となったロウでプリミティブなグラインドコアを、テンションを全く落とすことなく連発する様は圧巻。


2015年5月23日土曜日

Nigga Creep「Demons Taking Over Me」

95年産メンフィス・ホラーコア。フィールド・レコーディング的素材も盛り込みつつ、ミニマル/アンビエント・タッチの展開も見せる引き出しの広さに痺れる。


2015年5月22日金曜日

阿部薫「Untitled」

"誰よりも速くなりたい"と熱望した男の高速サックス。彼の作品中でも最も速くシャープな演奏は、一人グラインドコアのごとき熱量と破壊的なエナジーに溢れている。


2015年5月21日木曜日

A$AP Rocky「L$D (LOVE x $EX x DREAMS)」

新境地に達したニュートラック。スローかつメロウなトラックに乗せて艶のある声をじっくりと聴かせるバラードタッチのチューンと、歌舞伎町のネオン街をフィーチャーした映像とが相まって出来たサイケデリックなPVは強烈なインパクトを放っている。


2015年5月20日水曜日

Ras Michael & The Sons of Negus「Freedom Sounds」

リラックスした雰囲気の男性コーラス、ファンキーなカッティングも聴かせるギター、ジャンベを中心にしたナイヤビンギ。スローかつ緩んだサウンドが聴く者を確実にチルアウトさせる。


2015年5月19日火曜日

Redkaya Ptica「Instrumental」

Disogsでも取扱っていないソ連の謎のグループによる82年のアルバムから。何とも言えない独特の浮遊感に包まれたロシアン・プログレッシブ・フュージョン。Flip Nunez辺りのファンに聴いて欲しい。


2015年5月18日月曜日

DJ Kensei「ILLVIBES DL Edit」

96年リリースのミックステープ「Ill Vibes」のDL、Buudhaパートをフィーチャーしたエディット・ヴァージョン。彼らの自由奔放かつ特異な言語感覚と巧みなサンプリングセンスは何度聴いても度肝を抜かれる。


2015年5月17日日曜日

Paradise Lost「Beneath Broken Earth」

6月にリリースされるニューアルバムから。ドゥームがトレンド化した現代に斯界のベテランが放ったのは、重く沈み込むリフ、ドスの効いたデスヴォイス、叙情的なギターがフィーチャーされたオールドスクールなナンバー。ヘヴィネスとメロディの巧みな融合はCarcass「Heartwork」を思い起こさせる。


2015年5月16日土曜日

Natas「Natas」

デトロイトのトリオによる95年のサード・アルバムから。アシッドなブリープ音をフックにしたサウンドは、レゲエとベース・ミュージックとラップを融合させたかのような異質な雰囲気を漂わせている。


2015年5月15日金曜日

v.a.「Musical Offering」

71年にリリースされたロシアの電子音楽オムニバス。Sofia Gubaidulina, Edward Artemivらの演奏によるアブストラクトかつ透明感のあるANSシンセを堪能できる。


2015年5月14日木曜日

Blackout「Dreamworld」

Delroy Edwardsの”Slowed Down Funk"シリーズにやられた人は必聴のオブスキュア・メンフィス・ラップ。90'sブラックメタルばりのチープなサウンドとミニマルな展開はクセになる。


2015年5月13日水曜日

Jessica Pratt「Strange Melody」

Tim Buckley, T-Rexなどに影響を受けた女性アーティストによるセカンドアルバムから。演奏中の空気感や息づかいも伝わってくるかのようなラフな録音による生々しくも美しいアシッド・フォークは、60~70年代のSSWが現代にタイムトラベルしてきたかのように聴こえる。


ニューナンブ (11) 「1977年、テリー・ライリーを見に行った 2」

Text:Onnyk


ミニマリズムというと、これは美術にも通じる言葉で、60年代ポップ・アート、オプチカル・アートとの関連も有るが、これはまたややこしくなるので音楽のミニマリズムの話だけにする。ミニマル・ミュージック、ニューモーダル・ミュージックとも言われた様式だ が、それまでのアカデミズムからちょっと離れたところで成長してきた、ちょっとポップ な現代音楽である。ミニマリズムというと、これは美術にも通じる言葉で、60年代ポップ・アート、オプチカル・アートとの関連も有るが、これはまたややこしくなるので音楽のミニマリズムの話だ けにする。ミニマル・ミュージック、ニューモーダル・ミュージックとも言われた様式だ が、それまでのアカデミズムからちょっと離れたところで成長してきた、ちょっとポップな現代音楽である。

ラ・モンテ・ヤング、フィリップ・グラス、スティーヴ・ライヒ(これってライクか、ライシュって読むんじゃないかと思っている)と合わせて、ライリーはミニマル四天王なんていわれた。他にもヨーロッパあたりでどんどん出てきたが、細かくなるからちょっと省く。まあウィム・メルテンくらいは書いておこう。というのは彼は「ミニマル・ミュージック」という本を書き、日本でも訳書がでたし、舞踏演出で有名なヤン・ファーブルとの仕事が随分話題になったからだ。あと、ヤングの門下生としては、あのヴェルヴェットのジョン・ケール、イーノと一緒に やったジョン・ハッセル、バンドでメルス・ニュージャズ・フェスティヴァルにも出たリス・チャタム、特異な音楽家であるアンガス・マクリゼもそうだ。まだまだいる。

ところでヤングは、ライリーと一緒に、パンディット・プラン・ナートというインドの古典音楽歌手からキラナという唱法を学んでいる。またグラスがミニマリズムを創案したのは、彼がラヴィ・シャンカールと一緒に仕事をしたことだという。そしてライヒはアフリカのヨルバ族という部族社会でドラミングを学んだことがある。ヤングは最初サックスを やったり、フルクサスの連中とイベント、ハプニング的なこともしていたが、安定した発信器による和音を創案し、それを永遠に流し続けるというとんでもないことを思いついた。これは彼の生存中はずっと続くし、死後も続いていくのである。

実際に彼に会ったパフォーマー、荒井真一(自他ともに認めるアル中)によれば、ずっと耳にイアホンをさし、その音を聴き続けているという。この持続イベントを「永遠音楽の 劇場」としているが、その持続音〜ドローンのなかで彼は独自の唱法を披露し、共演達は ひたすら楽器で同じ音を鳴らし続ける。これは一見簡単そうに思えるだろうが、やってみ ればいかに自己の制御が必要かわかる。ほとんど修行である(オメガポイントの井部氏は 「ラモンテ教」といっている)。

また、彼は独自の調律によるピアノを用いて数時間かかる演奏も行っているし、スワンズ のメンバーと組んで不思議なブルースロックもやっている。最近のアルバムはなんとグラ マヴィジョンから出ている。ジャーマンロックのファウストとの共演や、伝説的実験映画 「フリッカー」で知られるトニー・コンラッドは、「自分こそミニマル手法の元祖である 」と名乗り、ヤングを批判している。まあ彼らが一緒にやっていた事があるのは事実だ。

グラスは当初、自作曲をオルガン独奏していたが(この当時の録音は、パンディット・プラン・ナートや、ヤングのソロ、ライリーのソロと同じくフランスのシャンダールという レーベルから出ている。ここからはサン・ラ、アルバート・アイラー、セシル・テイラー も出ている)、彼自身の曲をやるためだけのアンサンブルを結成、強烈なインパクトのある、一切の妥協を許さない演奏を展開して、日本公演でも大評判だった。

このグループの演奏風景は、ピーター・グリーナウェイの映画「4アメリカン・コンポーザーズ」に収録されている(余談だが、他にジョン・ケージ、メレディス・モンク、ロバート・アシュレイが選ばれていて、興味深い作品である)。彼はまたロバート・ウィルソ ン演出のオペラ?「浜辺のアインシュタイン」の音楽、フランシス・フォード・コッポラも関わった映画「コヤニスカッティ」のサウンドトラック、デヴィッド・ボウイの曲をイ ーノとともにオーケストラで演奏する試み、エイフィックス・ツインとの共演など、今も活躍している。

ライヒは、街頭の説教師の声をサンプリングして、電子的なディレイをかけて変形させていくという手法(「イッツ・ゴナ・レイン」「カム・アウト」など)や、手拍子の為の音楽、小さな木片のための音楽などを作っていた。これはポリリズムやリズムをずらして行 く事で大きな変化をゆっくり作る方法のエチュードであった(私はこの当時の作品がとても好きだ)。彼は自分のアンサンブルを組織し、グラス同様に厳密な、そして長時間の持 続的な緩慢な変化を生み出す手法を開発して行った。それは次第に大きくなりオーケストラで行うところまで発展した。

ライリーはテープや電子的ディレイ装置を使ってポップス、ジャズをリミックスしたり(なんとチェット・ベイカーが素材である)、特殊な電子オルガンを用いた。その音律は純正調と呼ばれ、ディレイで繰り返されるパターンと、その時点での即興演奏が常に調和的に聞こえるように設定されている。シャンダールから出た「ペルシアン・サージェリー・ダーヴィシュ」という2枚組ソロ、そしてメジャーであるCBSから出た「レインボウ・イン・カーヴド・エア」は大ヒットした。

また、その一方で「インC」という作品があり、これもミニマリズムの典型として知られる。この曲は53個の短い楽譜からなり、複数の演奏者は自由に選んでそれを繰り返す。これが重ねられると全体としては複雑な網目を為すようなサウンドを生む。筆者はこれを中国の楽器だけでやったのを聴いたが異様であった。ザ・フーのヒット曲「無法の世界」のイントロは、LPにおける、その前の曲「ババ・オ・ライリー」の最後がそのまま繋がっている長めのオルガン・ソロだが、このタイトルからも知れるし、一聴、明らかにそのサウンドはライリーからの影響である。

こうしてみるとミニマル四天王には共通項がある。それは源泉からすれば民俗音楽からのヒント、方法的には電子的な音源、そして厳密なアンサンブルか、即興かという選択、さ らに影響としてはロック、テクノといったスタイルに再帰していく。それはミニマリズムの「繰り返し」という方法が、丁度70年代初頭から、ロック、ポップスにおいて、シンセサイザーとシーケンサーによるプログラミングとコンピュータの使用が、まさにミニマリ ズムのスタイルに合致したからだ。だからテクノポップといわれる流れにはミニマリズムの影響が見られる。ここで私がテクノポップというのは、現在言うテクノとはちょっと違う。クラフトヴェルク、YMOを例に 挙げればいいだろう。しかし、これらの流れが、後にはテクノに繋がって行く。

77年7月、奥多摩のコンサートの3日前、私は三鷹の友人、佐藤君のアパートに投宿した。そしてまず、都内のレコード店巡りをした。当時の池袋西武百貨店の12階、現代美術と現代音楽専門店「アールヴィヴァン」の店長、故芦川聡さんから良い情報を貰えた(作曲家、演奏家の芦川さんは、後に独立してレーベルを設立、またハロルド・バッドを招聘し た。それは大成功だったが、その直後に事故で他界された)。

奥多摩ライブに先立ち、芝のアメリカンセンターで、ライリーがレクチャーコンサートを やるという話だった。私と、京都から来たビデ君(後のウルトラ・ビデ)が一緒に、そのコンサートに行く事にした。アメリカンセンターというのは、アメリカ文化の諸相を日本にプロモートすべく設置されたものらしいが、そんなもの今更不要だろうと思うのは私だけではないだろう。我々は文化的には半分はアメリカの属国化されているのだ。まあ、アメリカのお上品な部分の為の施設ということなのだろうが(会場には灰野さんがいたのを 覚えている)。そんな場所でカウンターカルチャー的音楽家が演奏するということが時代の流れを感じた。

ライリーは「シュリ・キャメル・トリニティ」というタイトルで演奏をした。これは奥多摩でも同じタイトルだった。まああるセッティングをした即興であるということは前回も書いたけど。どんな音楽であるかを改めて書くのも申し訳ないが、例えば貴方が、ジャーマンロックのファンで、アシュラテンペル(後にアシュラ)のファンなら、そのギタリス ト、マヌエル・ゲッチングのソロ「インヴェンションズ・フォー・エレクリック・ギタ ー」を思い出せばいい。え、そっちの方がレア?ライリーのそういう考え方はインド音楽のラーガとそっくりだ。ライリーとの違いは、ラーガ演奏を規定する、その環境での外的な要素が多いという事だ。例えば時間帯や、季節 や、天候といった。つまりラーガは自然観に基づいているから、その推移に合わせて変え なければならない。ライリーは、あくまで西欧音楽の意識で、これは独立した曲である、という規定をしてしまっている。まあどっちでもいいといえばいいけれど。

さて、そんな話も交えてライリーはそんなに長くはない講演をし、そして1時間程度の演奏をした。こうして解説されてしまうと彼に対して持っていた、勝手な思い込みとしての神秘的なベールが剥ぎ取られてしまったのだ。例えばモーダル即興の中で、コルトレーンは激しく燃え上がった。ラヴィ・シャンカールに心酔していたコルトレーンだが、シャンカールが彼の演奏を聴いて「あんな演奏のどこに愛と平和があるのか」と非難したそうで ある。それでもスタイルを変える訳にはいかないだろう。

音量の変化のないオルガンで、ひたすら沈潜するライリーはどうだろうか。インド古典音楽ではリズム、それはターラとかガットとかいうのだが、それがまた複雑きわまりない。そんなややこしいものはライリーの音楽には無い。もしインド人が聴いたら「いつまでアーラープをやってるんだ?」と思うかもしれない。アーラープというのは「今日はこんな ラーガでやりますよ」という、いわばテーマの提示みたいな部分だ。それが終わって、タ ブラ・バヤという打楽器が入って来るといよいよラーガは展開して行く。しかし、インド音楽的にみればライリーのラーガは遂に最後迄始まらないとも言えるのである。

こうしたことが分かった以上、あとは演奏のセンスだけが問題だ。即興演奏家としてのラ イリーのセンスはどうなのだろう。それよりも彼は演奏家なのか、作曲家なのか。ミニマル系作曲家は自分で演奏する事が多いが、ユネスコ村の「メディア3」でも作曲家自身が演奏するシーンが多々あった。神秘的なイメージの音楽は理論と機材の関係に解消していった。残ったのは作曲家と演奏家の関係である。一見単純で、実はそうでもない。自分の楽想を現実の音響にするなら、作曲家が演奏することが一番望ましいと思うのは簡単だ。 しかし作曲という行為はそれで解決することはない。それについてはここでは触れないでおこう。

さて、別の問題。テリー・ライリーは、いち早く、ある種の大衆音楽=ポピュラーミュー ジックの構造を見切った。最近、彼の”You're No Good”という作品があると堀さんから教えられ、聴いた。まさに「大衆音楽の原理」をローテクでやってしまっている。彼は 、R&Bのレコードから録音したテープを、その繰り返し単位のループにして、延々と流す 。時にそれをちょっとだけ変える。それでいいのだ。これにもし歌や演奏がのれば、その ままポップスなのだ。おなじ事をフランスの作曲家ベルナール・パルメジアニが”JAZZEX” という作品でやっている。彼はなんとマザーズオブインヴェンションまで使っているが、 その曲は最もMOIのなかでも最も繰り返しの多い「キングコング」である。なるほど。 繰り返しの音楽、いかにもミニマル・ミュージックを言い表しているように聞こえる。

しかし、実はこうした大衆音楽の繰り返しと、ライリーらのミニマル音楽の繰り返しは「 違う」。ダンス音楽であり、「うた」 である大衆音楽と芸術音楽としてのミニマル音楽の「違い」について書いてお きたい。つまり前者の「繰り返し」は、ある曲のなかで延々と同じで、変化しないが、後者のそれは、実は最初から最後迄、常に変化していくものであるということ。だからミニマル音楽は「漸次変化する音楽」とも呼ばれる。 ブルーズでもゴスペルでもR&Bでも、ロックでも、ジャズでも、いや、世界中の大衆音楽 は、ほとんどが基本的にはダンス音楽なのだが、ダンスとは数に体を沿わせる事でもある 。ということは「数えるため」に、ある単位のリフレイン〜繰り返し〜を基盤にしなけれ ばならない。パフォーマーは、その繰り返しの上に、いかに「かっこ良く、受ける」動き や演奏や歌を乗せるかというだけの話なのだ。ダンス・ミュージック?そうだ。それでいいじゃないか。

しかしまた舞踊音楽というと勝手が違う(「舞い」と「踊り」は違うからだ。)。この問題はまたいつか語ろう。そしてライリーが手をつけなかったもう一つの大衆音楽の方向がある。それは旋律を伴った歌詞、歌詞と旋律の混成としての「うた」である。ライリーはその師ナートから「唱法」は学んだが「うた」は どうだったろうか。ホーミーは「唱法」だが「うた」ではない。勿論地元ではホーミーで 「うたう」歌手達はたくさんいるのだが。

「うた」とは何か。これは人間と音楽の根源的な関係に迫るテーマになる。そして大衆音楽がいつも「うた」と共に有ることだけは確かだろう。12音主義音楽が確立したこと、そして録音とその販売メディアが商業的に成立した事、これらによって私たちの音楽観は大きく変わってしまったようだ。それ以来、「うた」は私たちから少しずつ遠ざかって行き 始めたように思える。大衆音楽と芸術音楽、作曲と演奏、「うた」とダンス、繰り返しと 変化、そして音律、即興、といった具合に、ライリーから掘り返してきた音楽の根本的テーマは意外に多かったのだった。

2015年5月12日火曜日

Fire! Orchestra「Exit!」

Mats Gustafssonが指揮を執るユニットの初作。ドゥーム・ジャズに接近したビッグバンドに、浅川マキのごとき情念を秘めた女性ヴォーカルが加わったアバンギャルドなジャズは非常に聴き応えがある。ロスト・アラーフ・ファンにも聴いて欲しい。


2015年5月11日月曜日

Khost「Amoral Apathy Suppression」

Godfleshのツアーにも帯同したバーミンガムのデュオによるデビュー・アルバムから。オリエンタルなムードを漂わせる管楽器を加えたトライバル・ドゥームはあまりにも重く、そして圧倒的なオリジナリティを感じさせる。今後に期待大。


2015年5月10日日曜日

Schaa「Pinophyta」

ジャンル問わずあらゆる素材を取り入れる、フランスの若きプロデューサーがここではフィールド・レコーディング素材を使用。謎の日本語も登場する20分超のトラックは、もはやテクノという領域だけでは語れない実験性に溢れている。


2015年5月9日土曜日

Primal Scream「Vanishing Point」

タイトルと同名の70年代映画に触発されて製作した97年のアルバム。時にヘヴィメタルを思わせるほどの重厚かつダイナミックなサウンドと、白昼夢のような浮遊感が同居する独創的なサウンドは強い中毒性を孕んでいる。


2015年5月8日金曜日

HJARNIDAUDI「Pain Noise March」

ノルウェーの一人フューネラル・アンビエント・ドゥーム・ユニットの初作。Jazkamer「Metal music machine」をメランコリックにしたような重々しく、荘厳なサウンド。


2015年5月7日木曜日

ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツ「集団投射」

高柳昌行率いるユニットの73年の演奏。カオスの美とでも言うべき、徹底的に激しくノイジーな演奏に圧倒される。


2015年5月6日水曜日

Dismember「Like an everflowing stream」

言わずと知れたスウェディッシュ・デスメタル名盤。サンライト・スタジオ特有の歪みきった荒々しいリフを中心に時に叙情的なメロディを交えながら突進する40分間。Young and in the wayなど最近のブラッケンドクラスト・ファンにも聴いて欲しい。


2015年5月5日火曜日

Buddha Brand「輪廻転生」

Mandrill「Silk」使いのジャズ・ファンク・チューン。Dev Largeのメロウな感性が十二分に活かされている。この偉大なるディガーの早すぎる死が信じられない。


2015年5月4日月曜日

The Hototogisu「By The Sea」

米英の男女デュオによる2000年にリリースされた1stアルバムから。終始流れ続けるドローンをバックに、Loren Conors的なギターと女性ヴォーカルとパーカッションが小さな音で響き合う。日本人的な侘び寂びを感じさせるサイケデリックに引き込まれる。


2015年5月3日日曜日

Sayaka Botanic「Isn't it? 8.13.2014. at Beat Cafe」

Group Aメンバーによる、オールド/ミドル・スクールヒップホップとトライバル・ミュージックを中心にした異形のファンキー・ミックス。DJ灰野敬二の世界観にやられた人はハマるはず。


2015年5月2日土曜日

Bark Psychosis「Scum」

Napalm Deathのカバーから活動を開始したというUKのバンドによる92年の12インチ。Bohren&Der Club Goreの一足先を行くかのようなドゥーム・アンビエント・ジャズのルーツともいえる演奏にイマジネーションを揺さぶられる。


2015年5月1日金曜日

Rob Smit「Metaal I」

81年にオランダのレーベル、Kubus Kassettesからリリースされたカセットより。連なるように響くヴィブラフォンが紡ぎ出す夢幻的なサウンドは静かに、しかし強烈なインパクトを放っている。やはり80年代初期のオランダ・エクスペリメンタル・ミュージックはあなどれない。