Text:堀 史昌
「僕は一万もの曲をポケットに入れて持ち運ぶことができる。でも、その音質が12曲入りレコードに匹敵するかといえば、答えはノーだ」
ビルボードマガジンの編集者Joe Levyは、音質の側面から音楽ファイルに疑問を投げかける。音の良し悪しは個人の好みの問題であり、最終的には主観によるところが大きいと思うが、数学的/物理学的に見てもレコードの音の方が良いと主張する者もいる。以下、桜井進と坂口博樹の共著「音楽と数学の交差」より引用する。
桜井「アナログのレコードとCDではどちらの音がいいかという議論がずっとなされていますが、それは数学と物理学で説明できます。デジタルを究極にしたのが アナログです。レコードの音はアナログだから時代遅れだと思う方がいるかもしれません。数学を勉強した人は逆なのです。アナログの音が究極の音なのです。 (中略)アナログレコードの原理はマイクから録った音の波形をそのままカッティングします。レコードのほうが原音に近いのです。だから究極で圧倒的な差が あるのです。レコードの方がそのぐらい情報量が多いと言えます。CDは情報量を削っているから、あんなに小さく安くなっているのです」(引用終わり)
音質の良し悪しはともかく、情報量を削っているからCDは小さいし、安いという説明は初耳だった。目に見ることのできないMP3はどれだけ情報量を削ってい るのだろうか、とふと疑問に思った。60年代から活動するロック・ミュージシャンのNeil Youngは、MP3はマスター音源のわずか5%しか再現出来ていないと憤る。以下、Wiredより引用。
「音楽ファイルは簡単にダウンロードできるが、音質はひどく悪い。iTunesにある曲のビットレートは平均256kbps AACで、オリジナル音源と比べるとあらゆる点でかなり劣る。CDはマスタートラックのデータの15%しか再生できず、CDをMP3やAACに変換すると、音の豊かさや複雑さがかなり失われてしまう」
(引用終わり)
ミュージシャンだけではなく、一般リスナーの間でもデジタル音楽の音質に疑問を感じる者は少なくない。15歳のDavid Macrunnelは「iPodの悪い音質が、人々をレコードへと向かわせるのに大きな影響を与えているよ」と言う。彼は1,000枚のレコード・コレク ションを保有しているそうだ。
アメリカでレコードフェアを開催するJack Skutnikはこう言う。
「CCDは利便性のためにある。レコードは聴くためにある」
かなり極端な物言いではあるが、音楽メディアが持つ性質を良く言い表していると思う。音楽がデジタル化していく過程でリスナーはいつでも、どこでも聴くこと ができるという利便性を手にしていった。そして音源を安く手に入れられるという経済的なメリットもあった。しかし、その一方で失われたものも少なくない。
ヒップホップ・グループForeign LegionのMCでもあるProzack Turner。彼が経営するProzackが経営するライブ・バー、リジョネール・サルーンでは7インチのレコードを聴く事ができるアナログ・ジューク ボックスを設置している。Prozackは「最近はスマートホン、セラート、インターネット・ジュークボックスなどを通じた音楽アプリによって簡単に満足感を得られるが、それはリスナーもDJもスポイルさせている」とデジタル音楽に否定的な見解を持っている。
確かにあらゆる音楽に容易にアクセスすることの出来るデジタル音楽には、レコードのようなアナログな音楽メディアにはないメリットがある。私も自分の知らない新しい音楽と出会うツールとしてYoutubeやBandcampといったWebサービスを最大限に活用している。そして、実際多くの素晴らしい音楽を知ることが出来た。しかし、それらだけに依存してしまうのは録音音楽が本来持っていた味わいが分からなくなってしまう危険性がある。
本来持っていた味わいとは何か?一つにはフィジカル=物質としての魅力が挙げられる。音楽の世界ではMP3などの音楽ファイルをデジタル、CD、レコードな どの物理メディアをフィジカルと呼ぶ。デジタルが浸透しきってしまった今、再びフィジカル、特にアナログレコードに熱いまなざしが注がれている。アメリカのインディ・レーベルMatadorは、現在のレコード人気を指して「New Physical Culture」と称している。
「レコードが再び売れているのは、人がフィジカルな形を恋しがっているからだと思う」
(テキサスのライブハウス、The GigのマネージャーAndrew Fison)
「最も純粋な音楽の形はレコードに現れる。以上。間違いない。レコードはハードカバーの本さ。見ることも感じることもできないという考え方が好きになれないんだ」
(シンガーソングライター・Benjy Ferree)
レコードの最大の魅力の一つとしてジャケットのアートワークが挙げられる。アナログレコードからCD時代にかけては、ジャケットを含めて一つの音楽作品だという考え方が浸透していたが、デジタル音楽の登場によってそんな発想もどこかに追いやられてしまっている。オハイオ州クリーブランドにある博物館「ロックの殿堂」のチーフ・エグゼクティブ、Terry Stewartはこう言う。「キッズの半数は聴くためにレコードを買う。半数は芸術品として買っているんだ」芸術品として購入したキッズはレコードをフレームに入れて鑑賞しているそうだ。
イギリスでも同じようにレコードのジャケットを鑑賞して楽しむ人がいるYorkshire Post紙よれば、イギリスは経済的危機に直面しており、彼らは幸福だった時代を振り返りつつあるという。百貨店チェーンJohn LewisのPaul Decklandは「レコード人気の復活は、懐古主義という大きなトレンドの一部だ」という。住宅市場でもレトロがトレンドで、デパートの家具売場でレ コードのアルバムを扱うところもあるとのこと。セレクトされたレコードのそばには、どんなレコードでも入れることが出来る12インチサイズのフレームまで 置かれているそうだ。レコードといえば、当然レコードショップに置かれているのが相場だが、家具売場で取り扱われているとは意外である。フレームに入れたレコードをどこに飾るかといえば、もちろん自宅の室内である。イギリスの住宅市場が不況化するにつれて引っ越しが減り、人々はリビングにこ もるようになったらしい。それに加えて、使い捨てではなく、温もりのある重要な品々で自分達の環境を取り囲もうとしているそうだ。そこにレコードが使われているというわけだ。
ウィリアム・アンド・メアリー大学の教授Charles McGovernはこのように言う。
「我々は耳だけでなく、視覚などの五感を使って音楽を聴いている。レコードは単なる音の貯蔵容器以上の存在なのだ」彼の発言を読んで、灰野敬二の「見ることと聴くことが同時に起こって欲しい」という言葉を思い出してハッとする。レコードは正に「見ることと聴くことが同時に起こる」メディアであるし、だからこそMP3などのデータでは味わえないエクスペリエンスをもたらしてくれるのだ。
“Experience” を日本語に訳すと”体験”になるが、文字通り耳だけでなく身体で音楽を味わうことの重要性がレコードを通じて分かるようになる。デジタル一辺倒で失われた 身体性をいかに取り戻すかが、今後の音楽を考える上での鍵となる気がする。フィジカルであるレコードを通じて失われた身体性を取り戻そうとしているのかもしれない。
フ ロリダのAlligator紙は、アメリカのリスナーがレコードに走る理由の一つとして、デジタルで音楽を聴くこと、あるいはパッケージを所有していないことに「飽きた」ことを挙げている。MP3などの音楽ファイルが浸透するようになってから10年以上が過ぎた。音楽ファイルが利便性、コストという 点においては過去のフォーマットよりも優れていたが、どこか味気ない部分があったのも確かだろう。
「レコードを買う体験から得られる喜びは、どれだけの時間と手間を費やしたかに比例する。袋に入ったレコードを持ってバスに乗り、家に帰るまでの時間。どんな サウンドだろうかとわくわくする期待感。見た目や感触、その匂いまでもがすべて、プレーヤーにレコードを置く前に得られる喜びなのだ」
(Pete Phadis、ジャーナリスト)
「この間Theo Parrishがあるインタビューで話しているのを聞いたんだけど、人々は音楽をコンピュータで聴くようになって、大切なものを失っているって。わたしも そう思うの。曲をダウンロードするのは便利だしわたしも時々はするけど、誰でも同じ曲をすぐ手に入れられるし、その作業は簡単すぎるから、あまり感情が伴 わないわよね。なんて言うか、自分の足で歩くかわりに馬に乗ってラクしてさっさと行っちゃうって感じかしら(笑)。でもレコード屋に出かけて行って、一生 懸命好きな曲を探して、2時間かけてやっと一枚のお気に入りのレコードに出会うことってあるでしょ。そのレコードは、一生大事にすると思うの」
(Margaret Dygas、DJ)
同じ音楽でもYoutubeやipodで聴くのと、レコードで聴くのでは全く別の体験である。同様に買い物をするのでもネットからデータで買うのと、リアルのレコー ドショップでレコードを買うのは異質の体験である
そして、itunesのような一人で聴く音楽メディアが浸透した現在、アメリカではレコードを他の人と一緒に聴くリスニングスタイルに憧れる若者がいるらしい。Press Release.comの記事 から、レコードの話題に特化したウェブサイト「Vinyl Revinyl」のオーナーAlan Beyerの言葉を引用する。
「レコードによる体験は儀式的な側面もある。私には前の世代の人間が、地下の部屋に座って何人かの友達と一緒に新しいレコードを聴いている姿が想像できる。現代ではヘッドフォンやiphoneのような人間味の無い方法で音楽を聴く機会が増えていくにつれて、若い音楽愛好家の中には、レコードが促進するような、よりソーシャルな音楽リスニングの体験を求める者もいる」
(引用終わり)
ソーシャル・メディアが発達し、人と人とのつながりが重視される時代において、レコードのようなリスニングをシェアするのに向いている音楽メディアが浮上してくるのは何とも興味深い現象である。レコードを求める表向きの理由としては、音がいいとかジャケがカッコいいなどあるが、深層心理の部分では他人とのつながりを求めているのかもしれない。
「CDとダウンロードは本質的にソーシャルなものではない。音楽は本来ソーシャルで共有できるものだ。だから音楽を社会とつなげる装置を必要とする。レコードはソーシャルな物である。触れることができて、友人と共有できる。あるいは棚や壁に飾れば、
レコードを見た人がコメントしたり質問できる」
(DaytrotterのCOO、George Howard)
「友達を家に迎えたり、夕食をとったり、外に出かけた時などにレコードをかければ、皆の関心を得ることができる。ジャケットを渡して眺めることもできる。同様の体験はデジタルの世界では出来ない」(レコード店オーナーKyle Siegrist)
デジタル音楽も他者と共有しやすいメディアではあるが、それはネットやデバイスを使わなければならない。レコードはアートワークのみでも楽しめるという利点 がある。レコードを通じて音楽を共有するという体験自体がデジタル音楽に慣れ親しんでいたデジタル・ネイティブの若い世代にはクールに感じられるのだろう。
今回の最後にClassic Album Sundays主宰のDJ Cosmoの発言を紹介したい。
「Classic Album Sundaysを始めたきっかけは音質。音のクオリティを聞くことが大切。そして今がダウンロードの時代であること。最近はシングルだけをダウンロードし て曲単位で聞くが、アルバムを制作するのに必要な労力、マインド、インスピレーションを感じてほしい。今はヘッドフォンで一人で音楽を聞くことが非常に多いですよね。だけどそこから抜け出さないといけないと考えています。音楽は本来いろんな人とシェアするものです」(続)
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