Text:堀 史昌
これまでの連載ではアメリカ、イギリスを中心に海外のレコードのリバイバル現象を追ってきた。日本に関してはもう少し世界の状況を伝えてから扱う予定だった。しかし、先日のコラムでもお伝えした通り、HMV record shop渋谷がオープンするというビッグニュースが入ってきたため、急遽予定を変更して日本のレコード、レコードショップ事情について触れていきたい。
まず、今の日本は海外ほどレコードのリバイバルは盛り上がっていない。それは、日本のアナログレコードの売上の推移を見てみれば分かる。日本レコード協会の音楽ソフト種類別生産数量の推移というデータによれば、日本のレコードの売上は1999年の298万枚をピークに低迷している。この年を境に売上は坂を転げ落ちるように下っていき、10年後の2009年にはわずか10万枚にまで減ってしまう。しかし、2012年には45万枚まで4倍以上増え、日本にもやっとレコード・リバイバルの波がやってきたか、と思った矢先の翌2013年には26万枚と再び落ち込んでしまった。もちろん、新譜だけを扱ったこのデータだけで判断するのは早計だが、普段レコードショップを廻っている時の実感や、Twitterやネットのニュースなどを見ていても、年々確実に売上を伸ばし、盛んにマスコミにもリバイバル現象が取り上げられている英米とは違うのは間違いない。しかし、今年のRecord Store Dayで大行列が出来たように少しずつ盛り上がりを見せているように思う。
レコードの売上と同様に、ここ10年近くレコードショップの数も減り続けている。長年日本のディガーの必携品だったレコードマップが2年前に廃刊となったことも、日本のレコードショップがいかに少なくなったかを象徴していると言っていいだろう。特に日本を代表するレコードショップ街だった渋谷、新宿にはその傾向が著しく現れている。レコードマップに掲載されている渋谷のレコードショップの数を確認してみると、97年度版57軒、02年度版63軒、05年度版53軒、08年度版33軒、11年度版ではわずかに22軒。店舗数だけを見れば90年代後半から00年代前半は堅調、00年代中盤には既に衰退モードに入り、後半以降は急降下していったことが見てとれる。ちなみに、新宿のレコードショップの数もざっくりと調べてみたが、やはり02年度版では59軒あったものが11年度版31軒と半分近く減っていた。
以下の文章は、3年前に私が渋谷の閉店したレコードショップの跡地をめぐった時の記録を別のブログに書いたものだ。少し長くなるが、いかに多くの渋谷のレコードショップが閉店していったか、そして渋谷という街並みが近年どのように変わっていったのか、これを読めばその一端が分かってもらえるのではないだろうか。
「今日は311以降、初めて渋谷に向かう。震災以降は、あまり遠くに行く気になれなかったし、実際に都心に足を運んだのは数回程度しかない。だが、ここ何日かのエントリで渋谷のレコードショップについて書いている内に、閉店してしまったレコ屋の後にはどんなテナントが入っているのか確認してみたくなって足を運ぶ。まずはレコードショップが密集している、通称“シスコ坂”に行ってみる。手始めにアブストものやドラムンベースに強かったHot Wax(ここのスタッフには、かつてイベントに出演してもらったことがある)を覗いてみると、いまどきのカフェがオープンしていた。最近、閉店した吉祥寺のバナナレコードやレコファンなどもそうだったが、やはりレコ屋の跡地には飲食店が入ることが多いのだろうか、と改めて感じさせられた瞬間。
だが、Hot Waxが入っていたビルの右隣にあったCISCOテクノ店では携帯のリサイクルショップが営業していた。一方、テクノ店から10m位の距離にあるCISCOハウス店にはやはりカフェが出来ている。Jeff Millsの来日ポスターがドアに貼られていたり、壁にはレコードが飾られていたので、音楽に強い店だと思ったが、ここはハウス系のレーベル、Unity Recordによって運営されているようだ。
CISCO坂を降りて、渡った道を奥へと進みT字路を代々木上原方面へと向かう。この道沿いには、現在も踏ん張り続けている老舗のFace
Record(現在は移転)があるが、その途中にはSoul
Junctionというレコ屋があったはずだ。そこには飲食店の業務用資材を扱うショップが、ひっそりと店を開けていた。毛色は違うが、やはり飲食関連なのかと思わされる。
その道をUターンして渋谷駅方面に向う。昔ディグの途中に休憩がてら、よく食事をした富士そばを懐かしみながら抜けていく。そして、最初にある交差点のビルの地下1FにあるSam'sを覗いてみるが、昨年閉店したばかりだからか、まだテナントは入っておらずガランとしていた。
それから、東急本店の方へ向い、サンクスがある地点で左に曲がる。曲がったすぐの場所にあるビルには、エレクトロニカ系に強かったDemodeがあった。確か4Fにあったはずだと確認してみると、そこには「Bar Ishee」の文字が。Twitterで何度かやり取りさせていただいた、Isheeさんが運営しているバーだった。
そのまま道をまっすぐ歩き、レコファン・センター街店があった場所には中華系の飲食店が出来ている。その後、ユニオンでレコードを軽くディグした後、レコファンBEAM店へ向かう。BEAMビルの真向かい、つまりパルコの隣には、テクノ、ハウス、ヒップホップなどクラブミュージック全般を扱うスパイス・レコードがあった。しかし、店があった場所には新しいビルが立てられ、居酒屋や屋台系の店が中心に入っていた。レコファンBEAM店をひとしきりチェックした後、エレベーターを降りて右の出口から出る。その真向かいには、Sonusというハウス系の店があった。カフェが出来ているらしいが、震災の影響で休業中との張り紙。
HMV、もといForever21方面へと向かう。閉店ではなく移転した店だが、Jazzy Sportがあった所には韓国系居酒屋が出来ていた。最近の渋谷には、この手の安っぽい居酒屋系の店が多いのが気になる。最後にハンズ脇の坂を登り、バナナレコードへ。レコ屋が集まっている場所から少し離れているが、ジャンルにとらわれずバランス良く掘ることの出来るラインナップに惹かれ、良く足を運んだものだ。しかし、そこには跡形はなく、まつげエクステの店がオープンしていた」
渋谷はここ10年で確実に変わった。私にはレコードだけでなく、音楽カルチャーの熱気が感じられず、安っぽいショップばかりが並ぶ今の渋谷は郊外のどこにでもあるような街に見えてしまう。CISCOが閉店し、渋谷から本格的にレコード屋が消えていくようになったのは08年頃のように思うが、その前年の07年、渋谷区は駅周辺の再開発を進めるガイドラインを発表した。計画は着々と進み、34階建の複合商業施設「ヒカリエ」が2012年に完成した。このヒカリエが人でごった返す一方で、個性的な独立系レコードショップは次々と姿を消していった。こうして渋谷は独自のカラーを失い、無機質な色に染まっていくのだろうか?それともHMV record shop渋谷が中心となって往時の活気を徐々に取り戻していくのか。次回は、レコードショップの聖地として海外のミュージシャンからも信奉されていた時代の渋谷を振り返ってみたい。(続く)
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