Text:Onnyk
ご無沙汰しました。といっても読んでいる貴方の事を私は全然知らないんですけど。だからという訳でもないけど、今回は、人の繋がりとは実に妙なものだという話です。まあ今は何かと「発達障害、学習障害」とかいって病名つけて薬もらって、面倒な世の中になりました。あんまりそういう話題が無かった頃の話でもあります。いやそういうと語弊があるか?顕在化していなかった時代と いえばいいのかな。
私は、英国の即興演奏レーベル、INCUSレコードのファンでしたので、七〇年代の後半から聴いていたのです。そしてデレク・ベイリー、エヴァン・パーカー、トニー・オクスリー、バリー・ガイなどの強烈な演奏家達に混じって、ちょっと若手の変な連中がやっているのに気付いた。それは”TEA TIME” というレコードを聴いた時でした。そこでピアノを弾いていたのが、スティーヴ・ベレスフォードという人です。なんというか脱力的な、いい加減な、ユーモラスな演奏をしている。
即興演奏のひとつの要素として、ユーモアは、無理して作るのではなく自然に出て来るのが良いと思っていた。そのうち彼ら一派が独立してBEADなるレーベルを作ったのですが、これが実にそんな雰囲気があって良い。これはゴリゴリの演奏家達より共感できると感じた私は、早速彼らに第五列の演奏を編集したカセットを送りました。すると返事をくれたのがスティーヴ・ベレスフォードその人。見た目もすっとぼけた、うだつの上がらない学校の先生みたいなんですが。嬉しかったですね。
何度かやりとりしているうちに、彼も悪戯心満載の手紙とか、貴重な録音(例えば彼の家でベイリーとやったデュオとか)も聴かせてくれた。また、カセットには即興だけではなく、彼の好みのいろんなスタイルの音楽が入れてあり、それもまた楽しかった。そんなやり取りの中で、私がスティーヴに、「ゴジラ」のサントラをカセットで送った。これは喜ばれましたね。で、実は当時彼が大きく関わっていたのが、かの「フランク・チキンズ」だったのです。
これはホウキ・カズコ(法貴和子)さんとタグチ・カズミさんの日本人女性デュオで、嘘くさいニンジャのいでたちをして、パフォーマンスをしながら歌う?(歌ってるのかな)。伴奏は当時としては早くもカラオケです。今でもユーチューブで見れるでしょう。 其のサウンドを担当していた一人がスティーヴですが、他にも実はデヴィッド・カニンガム近辺の音楽家達が集まっていた。デヴィッド・カニンガムといってピンと来なければ「FLYING LIZARDS(フライングリザーズ)」 のプロデューサーです。あ、「ラウンジリザーズ」と間違えないで(あれも良かったですね、フェイクジャズとかいって、ジョン・ルーリー。アート・リンゼイなんかがやってた)。
フライングリザーズは、非楽器を沢山用いて低予算で、R&Bのカバー曲(「マネー」とか「ムーヴオンアップ」とかね)やってますよということで、 ヴァージンレコードから出したファーストが大ヒットしちゃった。スティーヴは、キーボード、エレキベース、ユーフォニウムなども演奏したし、 ダブがすきで、いろんなサウンドを混ぜてかなり音作りに関わっていたのです。
で、チキンズの30センチシングル「we are ninja」が出来て、私に贈ってくれました。そのA面の最後に、私の送ったカセットからとったゴジラの声と足音が使われていた。私は嬉しかったんだけど、「この音は著作権にひっかかるから、お金かかるか、使えないかになっちゃうよ」といったのです。が、杞憂だったようで、その後出た日本盤17センチ盤にもちゃんと入っていました。
ホウキさんは当時、クライブ・ベルという管楽器奏者かつ文筆家の奥さんでした。クライブはBEADに録音も残しています。クラムホルンという古楽器の演奏です。ホウキさんは、東大卒で英国に渡ったのですがどういう目的だったのかは知りません。多分、夫婦とも「ロンドン・ミュージシャンズ・ コレクティブ=LMC」にも関わっていたと思います。この組織の事は後で。また二人は音楽雑誌にも関わっていました。”MUSICS”という雑誌で、残念ながら私は1979年11月の最終号しか持っていません。英国のマイナーな音楽シーン、特に即興演奏、実験音楽などを広範囲に取材し、また海外の事情も伝えています。
その後、第五列とDEKUスタジオとピナコテカレコードの共同製作で、「なまこじょしこおせえ/売国心/INFECUNED INFECTION」という変なコンピレーションを作りましたが(最近CDで再発されてしまったのは作った側としても驚きです)、これにスティーヴと、やはりBEADの中心人物の一人 、デヴィッド・トゥープがデュオとして参加してくれたのです。まあこのコンピレーションのことを語るだけでも、話題満載なのでまた別の機会に。
で、トゥープとスティーヴは1982年頃から、”COLLUSION”という音楽雑誌を出していました。この雑誌は、世界的な視野でファンカデリックから タンゴ、カントリー、ヘビメタ、なんでもあり、各地の大衆音楽など紹介している。要はメジャーな売れ筋音楽ではないものを丁寧に拾い上げていたということ。トゥープが様々な民族音楽の研究をしていて、そんな記事も載せていた。
彼は、BEADからニューギニアやアマゾンの原住民の音楽を出していたのも呼応しています。その音源の一部がフライングリザーズの セカンドアルバムに使われたりしています。面白かった。ちょっと話は前後しますが、カニンガムのレーベル”PIANO”からは、THIS HEATの衝撃的ファーストアルバムほか出ていますし、この周辺の連中は、女子だけのニューウェーブバンドSLITSや、ニューウェーブのレーベルと して台頭していた”ROUGH TRADE”のSWELL MAPS, NEW AGE STEPPERS なんかにもからんでます。
96年あたりだったと思います。丁度、AMM初来日で、そのギタリスト、キース・ロウを盛岡に単独で招聘してライブやったのが95年で、その辺りの事も書いた。このライブ映像は、 第五列ボックスのDVDに収録しています。で、それから数年して私は東京のレーベルBISHOP RECORDSからリーダー 作を出すべく、録音をしました。そのメンバーでツアーをして、神戸にいったとき、ライブハウス「ビッグアップル」に私宛のメールが届いていた。そのことにびっくりしたのですが、英国にいた盛岡出身の女性カメラマンTさんが、いろんな検索をしていて、私の名前がひっかかったので、ビッグア ップルにメールしたと。で、「近々、長く渡欧していたが盛岡に帰るので会いましょう」となった。
Tさんと、一緒に来たのがポール・フッドという人で、ロンドンで豆腐を作 っているという。 盛岡は、豆腐消費量では日本で一、二を争う豆腐シティ。ということで盛岡 見物したわけです。彼は盛岡の豆腐に舌鼓をうち、また「ジャズ喫茶」という日本文化なども堪能した。彼はLMCのメンバーで、サンプラーでの演奏もしていた。さてLMCとは?あ んまり知りません。でも要するに、主としてアマチュアの、通常のスタイルの音楽ではない「即興演奏」を愛好する人達が作った組織で、少人数の ライブを、ちょこちょこやっていたり、年に一度は全体の大きな企画をやっているようです。
あと、私は彼らが作ったLPレコードを一枚だけもってます。これは演奏そのものよりもアイデアが面白いんですね。例えば、全く隔絶した場所にい る三人が、ラジオの時報を合図にお互いを想像しながら演奏し、それをあ とで合成したとか。まあ、結果はなんつうか緩いですが。TさんとポールはLMCのライブで知り合った。彼女は英国の前に欧州にいて 、メルスニュージャズフェスなども撮影していた。驚くべき事にサン・ラ・アーケストラに気に入れられて、その専属カメラマンにもなっていた。そして彼女はアーケストラの記録動画を撮影編集することを依頼されたり。それはまだ発表されていないようですけどね。
さて、TさんはLMCの関係者のライブを幾つか撮影してたのですが、それは面白かったです。ライブペインティングと即興の共演とか、スティーヴが テーブル上のオモチャ類だけ演奏してるライブとか。そして圧巻は、03年 のLMCのアニュアルコンサートなんですが、其の年のスペシャルゲストが3人いた。それが大友良英と、亡くなったサックス奏者ロル・コクスヒル、そしてキース・ロウだったのです。
総勢30人近いメンバーが、扇形のひな壇に並んで、中央にゲストがいる。詳細はよく分からないですが、ゲストそれぞれの指示で演奏が展開する。大友とロルは一緒のステージに出て、全体の中でロルがソロをとりながら 、大友の指示で楽器の種別になったりしながら音が出ているのですが、どうも渾沌としています。それが狙いなのでしょうか。しかしキースの場合は全然違い、最初にテクストを一斉に朗読する人達が中央にテーブルを囲んでいます。もしかしたらこれは、かつてAMMのメンバーで、共産党地区書記でもあった作曲家コーネリアス・カーデューの曲を やってるのかもしれないな。 これ以上のレビューをするとまた分量になりますので機会を改めて(前に一度別の所に書いたんですけどね)。でも演奏というよりパフォーマンスみたいな人達もあり、面白かった。何かをハンマーでたたき壊す人達とか、「ブトウ」をする人とか。
話を戻します。盛岡で、Tさん、ポールさんらと英国、欧州の音楽など楽しく談義。そして 共通の知り合いとしてクライブ・ベルの名前が出た。私は丁度製作していた リーダー作のライナーを誰に頼むかと悩んでいたのですが、もしかしてク ライブに頼めないかと聞いてみた。ポールは帰ったらすぐ聴いてみるといい、事実すぐポール経由でメールが繋がり、クライブに録音を送ったところ、ライナー執筆を快諾してくれました。
驚くべき事に、彼はその何年か前に日本に来ていたのです。そして、なんと岩手県も訪れていることが分かった。其の理由、実は彼は松尾芭蕉に興味があって「奥の細道」巡礼をしていたのです。勿論私はそのとき会っていません。ちょっと脱線しますが、岩手県北上市の出身で、非常にユニークな画家、 愛染徳美さんという方の話。 彼の絵も沢山載せた「わが隠し念仏」という本が「思想の科学」社から出ているんですが、実に面白い。皆さん、是非読んでください。で、どういう経緯か忘れたが、今、英国に住んでいて、ある図像の研究をしていた。これは教会の片隅の柱などに彫刻される「グリーンマン」という 存在です。この研究本を英国と日本で出した。これも面白いですよ。
まあこの人は絵も面白いんですが、文章も話も良い。日本と英国の文化交 流事業で、盛岡に来た時講演会を聴いたんですが、そのときの中身もよく 覚えています。それでひとつだけ紹介したい。 愛染さんが、ドーバーの壁にいったとき、かなり天候が荒れていた。周囲には観光客は誰もいないと思った。そこで海を眺めながら思わず「荒海や 〜」と叫んだそうです。すると後ろから「サドニヨコタウアマノガワ」と 声をかけられた!ぎょっとして振り向くと初老の英国人がニヤニヤしながら立っていたという。
英国人、芭蕉が好きなんですね。話を戻します。クライブのライナーを読んでちょっと困ったのは、彼は、私以外の演奏者8人は皆岩手の人だと思っていた。そういう誤解はあったのですが、文章はとても良かった。だからもう書き直しはしてもらわないで、それを付けて私のリーダー作”the unsaid”が出たには出た。
が、まだ問題は残っていたのです。それは折角の彼の名文が印刷の状態やフォントのせいで、相当に読みにくいものになってしまったんです。なんと 杜撰なと思わないでほしい。パソコン画面上では明瞭だったし、プリントだってしてみた。そこでゴーサインを出したんですが、本番は紙の質が違っていたり、インクの乗りも違っていたのです。ああ、私は今迄何度もCDやレコードを作ったんですが、どうもライナーや 文字情報についてはいつもトラブルがある。運命ですねえ。今回はこのくらいにしておきます。次回は、いかにしてPSFから音響彫刻家ハリー・ベルトイアのCDが出る事になったのかを書きます。
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